子連れ別居(仮)から自宅に戻った3児の母が子連れ離婚を考える。
子連れ別居(ホテル暮らし)から帰宅して5日
(画像出典:we heart it)
いつもWEBライティングなどのお仕事系のお話しを書いている雨には珍しく、ブログで子連れ離婚について考察してみました。
子連れ別居(仮)から自宅に戻って5日目の雨から、子連れ離婚や別居を考えている読者様にHOTでリアルな情報をお届けします。(興味のない方はこの記事はスルーでお願いします)
雨が子連れ離婚を考えるようになった経緯
(画像出典:we heart it)
はてさて、今回雨が短期間子供を連れて家出(本人的には別居)した経緯については、生活費でもめたからです。
某ドラマのごとく、「生活費は必要な分を言ってくれればその都度渡す、その方が節約になる。」という鬼のような管理節制を夫に言い渡されたその日に家を出ました。
雨の家の生活費は、子供3人+夫婦二人の5人で生活するには、「ムリでしょ!!?どうやって生活してんの!???」とあきれられるレベルの少なさです。
雨は夫がお給料をいくらもらっているのかをだいたいしか知りませんし、生活費以外のお金の管理はすべて夫が行っているため、旅行やレジャーといった生活の楽しみを計画する権利もなく、日々をただ過ごしている次第です。
だからWEBライティングは生きがいであり、唯一の楽しみでもります。
話が逸れました☆
(画像出典:we heart it)
そんな雨の家の家計は、夫のご機嫌一つで増えたり減ったりします。
結婚当初は夫婦二人だし、共働きだし、とたいして気にしていなかった『生活費の困窮問題』が浮き彫りになったのは、妊娠してすぐに大量出血し、雨が仕事をやめて家計の収入が減ったあたりでした。
その頃から夫は雨をお金のことで責めるようになり、そのくせ第一子出産後も執拗に妊娠・出産を強要しました。
妊娠・出産を拒むことは、離婚事由に値すると責められては、雨に拒否権はありませんでした。
子供が3人になり、とうとう夫一人のお給料(渡してくれる生活費)だけでは生活できなくなりました。
4人目を望む夫に、雨は「4人目が欲しいなら離婚してください。」とお願いしました。雨の育児に対する不満や愚痴も禁止していた夫に、育児のストレス発散を手伝ってもらうこともできず、ただただ我慢の日々。
精神的・肉体的・金銭的に、家庭は破たんしていました。
雨の実家の親は狂気
(画像出典:we heart it)
お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、雨は我慢して頑張るタイプの人間で、その性格は生まれつきのものではなく、両親に作られたものです。
両親も親戚も、雨に自由な交友関係を許さず、友人らしき人物が浮上すればすぐに会って「あなたとうちの子はお友達にはならない方がいい」とにこやかに言うような人たちです。
いつの間にか私は、学校でも家でも孤立するようになりました。
それは社会人になってからも続き、とても社会的な生活ができる実家ではありませんでした。
そのため、猛反対を押し切って一人暮らしを始めたのですが、結婚を機に夫が実家に連絡した方がいいと言うので、仕方なく連絡しました。
それからは、雨に対して実家の親と親戚、夫の親と兄弟、夫自身による執拗ないじめが始まったのです。
夫は私の味方ではなく、紛れもない敵で、夫と子供と暮らす家は地獄の巣窟となりました。実家を出ている雨にとって、直接的な危害を加えてくる夫は第一の危険人物でした。
いじめられる人間は一生いじめられるのか?
(画像出典:we heart it)
学生時代には学校でのいじめも体験している雨にとって、いじめられることはもはや生活の一部であり、受け入れがたいことではありませんでした。
しかし、いじめられると言っても、家庭と学校では全く別問題です。家庭は安らぎを得る場所であり、家庭に安心や休息する場所がなかった場合、学校でのいじめは格段につらくなります。
ですから、学校でのいじめは無視することができても、家庭内でのいじめには断固戦う意思を示しました。数年間は私の言葉や行動でいじめを回避、消滅できないか努力しましたが、快方に向かうようには全く見えなかったため、反論する、離婚する方向に進んでいきました。
長くなったので、続きは別の記事に(*^-^*)
つづく